伊尾木川再訪 その1
高知伊尾木川~徳島那賀川 その2
高知伊尾木川~徳島那賀川 その1
お見送り
次女の山村留学、2学期の開始は8月26日ということで、前日木頭に送りに行く。
数えてみれば自分が木頭に行くのはこの4月から10回目だ。
その前に12月と2月にも来ているし。
いつもの那賀川沿い国道195号もさすがに飽きてきたので、今回は北の神山町から土須峠を越えて木沢村経由で。
とにかく峠がハードなので余り選択肢に入らないけれど、距離だけ見たらこっちの方が短いくらいで時間も大きくは変わらない。
これまで何度か越えている土須峠、四国の山の険しさを知るにはちょうどいい。
木頭も木沢も物部も祖谷も、こんな山々に囲まれているんだなということを実感。
そしてもうちょっと山の厳しさを知るためにも、スーパー林道入ってファガスの森までダートを走って昼食。
標高1300mはもう秋の空気。
夏休み最後の日曜ということで淡路島の辺りでは車が多い気がしたけど、こんな山の中は至って静かなもの。
涼しくて景色が良くてすごくいいところだけど、簡単には来られないから人が少ない。
四国の山の中はそんな場所ばっかりだ。
土須峠から木沢に下りる国道沿いの渓谷も大好きな景色。
木沢と木頭は同じ川に合流するのだけど、険しさは木沢の方が一段上で、受ける印象はかなり違う。
急傾斜を豊富な水量で流れ落ちる川はどこに行っても渓谷美と言える景色をつくり上げてくれて、見ていて飽きない。
人の暮らしも山の斜面の上に家々が点在する傾斜地集落の光景で、これは四国の他の場所ではあるけれど、案外木頭では見られない。
木沢の方でもまたゆっくりしたいなあと思う。
15時頃に木頭北川に到着。
まったくここに来ると、遠路はるばる来ているのに他愛もない話してのんびりくつろいで帰るだけ。
まあしばらくのお別れだ。
また来るけどな。
別れって何だろか、一月経たずにまた会う娘には別れを意識するのに、「じゃあまた」のまま一生会わない人はあまたいる。
んなもんっちゃんなもんなんだけどね。
木頭の休日
自然に対する畏れを失ってはいけない、などなどなどと。
現代において自然に対してナメた態度を公の場でとっているとどっかから叱られたりする訳である。
「台風が近づいています」という報道があれば外出の予定を中止して家の中でじっとしたいるのが賢明だとされている。
そこにもってきて我が家はこの8月14日15日に高知徳島の方に遊びに行く計画を立てていた。
折しも14日夜から15日にかけて超大型の台風が四国に上陸しそうだという報道。
マメに予報をチェックしつつも、「んー、まあ何とかなるんちゃうん?」と予定をキャンセルすること無く、まあ実際そんなに深く考えることなく。
台風言うても中心から離れたら暴風雨というほどでもなく、まあ雨はそれなりに降るんだろうけど、建物の中でグダグダしてたらええんちゃうん、みたいな。
実際、とにかく行ってしまえっ、という方向性でいたのだけど、直前になっても台風の進路は変わらず接近の日もちょうど14日から15日にかけてのまま。
こりゃ行っても雨見るだけで終わりちゃうん?というのと、もしかしたら土砂崩れとか洪水とかホンマモンの災害に見舞われるかも?と、それなりに良識ある判断も少し加わって結局行くのやめたのだった。
結果どうだったか。
この台風10号は四国の西端から広島に上陸したのだが、その頃には勢力も落ち着いていて大きな被害を出すことなく日本海に抜けて、明石近辺での印象は「まあ思ったほどちゃうかったね」程度。
でも木頭は違った。
台風上陸前の14日から徳島県高知県の一部の山間部だけ記録的な豪雨に見舞われ、24時間雨量500㎜と。
これは去年の西日本豪雨の時に大規模浸水した岡山の数字の倍くらいというから、物凄い雨だった筈。
大雨に慣れている木頭の人たちが口々に「エライ雨だった」と言っていたくらいだから、もし自分らそこにいたら恐怖だったのではなかろうか。
行っていたら後悔していたに違いない。
珍しく正しい判断ができた訳である、大人になるということはこういうことか。
さて結局、台風翌日も土砂災害など危険かなと行くのを控えて、3日経った18日に日帰りで遊びに行くことに。
台風の時は国道も浸水したというニュースを見たけど、この日は道路状況に問題はなし。
車窓から見る那賀川が常に茶色い濁流で、上流に行けば少しは落ち着くかと思ったけれど、木頭に着いて橋を渡った時も知っている光景と全然違うと山村留学で木頭の子になっている次女が言うくらい。
支流だったら水量少ないから水も落ち着いているかもと言われたけれど、いやあ、支流の上流も色は茶色ではないけれど足を浸けるだけで押し流されそうな勢い。
おとなしく川沿いのキャンプ場で食事だけした。
休日に山にお出かけ、と言うと何かしらレジャー的なものが必要のように思われるけど、結局今回は同級生の女の子を誘って一緒に山村留学センターの寮に行ってダラダラ過ごしただけ。
管理人さん家族の1歳の娘さんと遊ぶことを心から楽しみにしていたようで、その時間がたっぷり取れたらそれで満足という様子だった。
川で泳いだり山に登ったり絶景を眺めて写真撮ったり、そういうトピックがなくても十分。
ゆっくりできたらそれはそれで良かったのだろうけど、台風のおかげで時間が無くなって、結果子どもたちが何を一番大切にしているのかということがよく見えたということかな。
中国山地の分水嶺を歩く
青春18切符この夏2枚目。
日帰りで夕方に岡山総社でセッションに参加。
それまでの時間にどっか行ったろうとなると案外選択肢が無くて悩む。
というのは、それで考えつくルートはあらかた行ってしまっているから。
智頭、鳥取、津山、新見、東城、児島、高松、琴平、辺境を目指すにしろ地方都市をぶらぶら歩くにしろ気になる土地はあらかた行き尽くしている。
西に山陽本線広島に向かう方向がすっぽり空いているのだけど、まあ馴染みのある土地だし、また別の機会を設けるつもりだし。
結構な熟考の末、去年山陰に行ったときに伯備線の岡山鳥取の県境辺りの風景が好印象だったことを思い出し、そういえば最近通っている木頭北川も徳島と高知の県境の集落。
馴染みになりつつある四国山地の峠の村の光景と、中国山地のそれとを見比べると面白いかもと、鳥取に入ってすぐの日南町上石見を目指すことにした。
最短で行くなら倉敷から真っ直ぐ伯備線で北上するところだけど、帰りもそこ通るし、津山と新見の間の農村風景がまたいいよね、ってことで姫新線経由で。
車内満席に近いのに驚くけど、考えてみればお盆休みの始まりだから、旅行客も帰省客も多いのか。
うっかりであった、とか少し思うけど、どうせ目的地に近づくにつれて人は減ってゆくだろう。
むしろ悔いる点はお盆で日曜日なので酒屋が空いていないところ。
津山で30分の乗り継ぎで街に出ても、目を付けた酒屋は閉店。
街一番のデパートに行けば何かあろう、と天満屋に行けば10時の開店まで少し足りず。
仕方なしと駄目元で大きめのスーパーに行ったら、うーん、それなりの品揃え。
勝山の辻本店の御前酒9という菩提酛の酒と、美作の酒ではないけど赤磐の櫻室町吟醸生を購入。
駅前の物産館よりよっぽど良いのがちょっと複雑。
新見への列車は一両ロングシートがやはりほぼ埋まっていて呑める雰囲気でなし。
仕方なしと車窓を眺めるだけだけど、やっぱりこの区間はいいよなあ、と思う。
峠に近づいても山が険しくならないのは中国山地の特徴。
山に囲まれていても平地がそれなりにあってどこに行っても水田が視界に入る。
その中に点在する農家は威厳を持った黒瓦の建物が多く、母屋と離れに蔵もあるような立派な屋敷が多いのに目をひかれた。
やっぱり平地があると豊かなんだなと思う。
四国の険しい山地の暮らしを見た後では、土地に恵まれた中国山地に平穏さを感じる。
暮らしやすそうだなと思う反面、厳しい自然とギリギリのところで折り合いをつけながらの暮らしから生まれる、生きるための知恵のようなものは険しい土地の方が豊富なのかもしれないとも思ったり。
以前だったらのどかの農村風景だな、としか感じなかった車窓からも、色々見えてくるようになって土地土地の暮らし方の違いを考える。
街道の宿場町なのか、ごくごく短い距離なのだけど風格のある商店街。
やっぱり人はそんなにいないのだけど、今の時代に町の本屋さんが営業していたりで、ちょっと嬉しくなる。
ここから峠の集落、上石見までは8キロだけど、1キロ離れた道の駅まで往復してしまったので結局10キロ、2時間少々で歩かねばならないのはちょっとした苦行となってしまった。
移動に徹するなら時速6キロくらいいけるけど、のんびり楽しみたいなら時速4キロ以下。
結局2時間で10キロは微妙。
気になったところでは立ち止まるし人と話す機会もほしい、となると必然急ぎ足になってしまいのんびり要素は遠ざかってしまう。
標高400mは高原というほどではないけれど、多少は涼しかろうと思っていたのに、道路の温度表示は35℃と。
熱中症で倒れる人のニュース見て、いや倒れる前に何とかできるでしょ、と思てた自分。
いやあ、行けそうな気がするけど行けないかもしれないと想像することも大切、とか思いながら、まあ歩いてしまうんだな結局。
水分がばがば取りながら、風情を感じる余裕もない早足で歩き通して汽車には10分の余裕を残して間に合った。
アカン道の駅行かずにもうちょっとのんびり歩きたかったなあ、とも思う。
何かいい酒あるかなあ、とかつい遠回りしてしまうんよなあ、そんでいい酒無かったし。
生山から上石見に至る道、常にゆるい上りなのだけど、急なところはなく、周りに田園風景を眺めながら気が付いたら高度を稼いでいるという印象。
峠が近付いても、先を阻まれるような景色ではなく丘を越えたら瀬戸内側、というのどかな分水嶺だった。
雪の積もる土地なのだろうけど、夏は暮らしやすそうな土地で、やっぱり敷地の大きな建物が多く見られる。
小中学校は見当たらないのに峠の近くに保育園だけあったのが面白いところ。
後で調べたら子どもの数が16人と、想像以上の多さだった。
やはり暮らしやすい土地だから若い世代も多いのかな、など、時間があれば人に聞きたかったな、という心残り。